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「ほれ、ワシのこの服見てみろ。ポケットに穴があいてる。お金を入れてもすぐにどっかいっちゃうんだよ。はははは…!」
バリで今最も尊敬を集めている影絵遣いであるイ・マデ・シジャ師はこう言って笑った。
「この服、買ったのなんて何年前のことだか忘れてしまったよ…。ま、だいたい外身を飾りたてるなんて、くだらないことさ。」
「人間の身体はね、墓場なんだよ。穢れたものだ。」
「キミも肉を食うだろ。てことは死体を身体に入れている訳だ。その死体で出来上がった身体、それが人間の肉体さ。そんなものいくら飾りたてたって仕方がないとは思わんか?」
「いくら美味しいものだって腹いっぱい食べたら、もうそれ以上は食べられないだろう? いくら金があったって何軒も立派な家を建てていっぺんに住むことはできないし、すごい車を何台も持っていたとしてもいっぺんに全部に乗るわけにはいくまい。」
「だいたい、死んでしまえばなんにも残らないんだ。いくら金を持っていたって、いくら宝石で身を飾りたてていたって、家も車も、そんなものあの世に持って行くわけにはいかない。あの世に持って行けるのは魂だけだ。」
「だから人間は肉体を飾りたてるのではなく、魂を美しく飾ってやらないといけないのだよ。」
シジャ師のところを訪ねて行くと、他愛もない世間話をしていたはずなのに、いつの間にかその口からは哲学的な言葉が溢れ出てくる。これは、影絵遣いとしての長年の経験によって培われたもの。
バリで影絵遣いは「ダラン」と呼ばれ、バリ・ヒンドゥー教のカースト的身分制度を超えて人々の尊敬を集める存在である。
バリにまだ学校がなかった時代。祭礼のたびに上演される影絵人形芝居「ワヤン・クリッ」は人々の娯楽であると同時に教育の場でもあった。その日ばかりは子ども達も夜更かしを許され、マハーバーラタやラーマーヤナといったインド伝来の古典叙事詩の中に登場するヒーロー達の大活躍、道化達の滑稽なやりとりを明け方近くまで楽しむのだ。
一人の影絵遣いがヤシ油の炎の向こう側で、妖しげに揺らめく影を操りながら次々と声色を変え、様々なキャラクターを演じ分ける。その登場人物達の会話の中にはバリの人々が古くから大切にして来た思想が込められており、ワヤン・クリッを娯楽として楽しんでいるうちに、いつの間にか教養や道徳、そして文化を学ぶことになる。
しかし、近年では若いダラン達はウケをとるための話術こそ達者なものの、本来のダランが担うべき文化哲学の伝承者としての役割が薄れてきてしまっている。これにはテレビ等の影響ももちろんあるが、ダラン達の文化的哲学的背景とそれを伝えるだけの芸が廃れてきているのかもしれない。
「今の人たちは、ウケをとろうとしてわざと滑稽なことをやりすぎる。ワシはね、そんなことはしないよ。それよりも魂に訴えかけることを心がければ、たとえ表面上は大笑いしなくとも、魂がにっこり笑うんだ。」
プロジェクトでは、世界に誇れるバリ伝来の哲学思想とその芸の本質を伝えていくために、シジャ師の影絵人形芝居「ワヤン・クリッ」と共にインタビューをDVDに収録保存していく予定である。
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