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こんなことって普通では信じられない。ある遺跡に近づいたときにその老人が語りだした。
「ここには精霊がいる。それが何を伝えているのかを私が話そうじゃないか」。
そしてその老人はここでその昔に起こったこと、ここに来る人は少なからずそのときに係わった人の子孫であること。その人たちは何のために訪れてどんな使命があるのか。そう、お分かりのようにもうそのまま「屋外オーラの泉」なのだ。
あるときはこんなこともあった。私の後ろに人がいるとサイキックな人たちが皆して言う。もちろん見えない。それは私の先祖らしいのだが、その先祖と皆さんは「うん、うん、そうか、うん、なるほど」と話をしている。そしてそれを私に伝える。中には思わず「えー! なんで知ってるの?」みたいなリアクションをしてしまうようなコトを言われたりする。これ、テレビだったらかなりの視聴率とれそうだけど、ここはインドネシアのただの民家なのだ。
さて、こういったことはどれだけの人が信じるだろうか? 今でこそテレビでも普通に放映する「見えない世界」。本だってたくさん出てるからあまり抵抗ないかもしれない。むしろ信じている人の方が増えているのかもしれない。見えない世界がないとなると、人間ってとても現実的及び享楽的に生きるために、何故か悪い方向へ行くことも多々あるらしい。だってその昔「そんなことしたら地獄へ落ちるよ」と子供たちに道徳心も教えた時代だってある。「嘘ついちゃいけないよ、エンマさまに舌を抜かれるから」と。
以前シンガポールにいた時に、その種の(死後の世界)テーマパークに行ったことがある。出てきたときには「死ぬまでもう悪いことは絶対しません」っていう心境になったもの。日本でこのテーマパークの話をしたら年配の人たちは「昔は本でもそういうのがたくさんあったから良かった。今は誰もそういうのを教えないから悪いことも平気でしちゃうのかねぇ」と嘆いていた。
インドネシアの見えない世界。・・・スピチリュアルという概念。日本では「宗教」ではなく「霊性」と分類されるようだが、人間を超えた存在を感じ、見えない何かとつながって生かされているという気づき。でも信じる信じないという観点で見るのではないようだ。なぜならこれは文化だもの。そう、インドネシアの「文化」なのだよ。だからここから芸術も生まれるし、道徳も教わる。そして子供たちは先祖を大切にし、親を大事にし、悪いことしたらいけないということを知る。じゃあ汚職はどうなんだって思うよね。しかしこれも立派な文化でしてね。あくまでもやってもらったからお礼はしないと、とごく普通に渡し、もらうほうも「はいどうもありがとう」とお金でお礼をもらうただの習慣だったのだよ、きっと。チップのある国なら当たり前の思考回路かもしれない。文化と知るとすべては片付く。つまり他の国のことはその国の人にしか絶対わからない。他国のものは「良い・悪い・正しい・正しくない」で見るのではなく、その国の文化を知り、それを敬うことが出来れば、世界は平和になると思うけどね。これ人間関係の基本ですから。でもそれが難しい世の中なのでしょう、現代は。
これでこの迷宮の扉も最終回となりました。今まで読んでくださってありがとうございました。次回から新しい連載になります。最後に、見えない世界を見るコツは、あなたの顔についている目で見るのではなく、心の目で見てみてくださいね。真実の裏が見えますから。
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