エイム インドネシア>道端の神々 〜幸運入門〜

1. 神と出会う旅
インドネシアの歴史を元に、神に出会うための場所があったらしい。


 「どこかにほんとうに美しいものはないのか」
 これは八木重吉の「秋の瞳」の中の一文だが、人間の手によって作られたものや自然さえも、この世のものではもう無理だと見切った人は、幻想の世界・神秘の世界に入るという。私にとってそれはジョグジャカルタの水の王宮(タマンサリ)の景色だ。

 小雨降る水の王宮跡は夕暮れで誰もいなかった。ある日本人照明家と現地の振付家と三人でそこに行ったのだが、いつものように美しい廃墟に見えたそこは照明家が「ほら、ここにこうやると美しい舞台が出来る」と話しはじめたことで、私たちの中にその幻想風景がありありと浮かび上がり、そして心に刻み込まれた。それは澄んだ緊張感のある透明な青の神秘世界だった。
「あそこ全面にスライドで海を映し出し、照明でこう当ててご覧。ほら背筋がぞっとするでしょ?」と照明家が言えば、振付家が「そしてあそこから踊り手が出てきてこう動く、衣装はこうだね」と話は尽きない。私たちはそこで舞台のビジョンを見ている。確かにこれも人の手によって作られるものではあるが、しかしそのアイデア提示段階というのは、イメージでのみ作り上げ確認しあう幻想の世界。互いの第六感の感覚のみでもってそれを体現する。こんな工程を繰り返していると、目に見える現実と目に見えない神秘の世界の境界があやふやになるから不思議だ。
 しかしここはただ単に風景が神秘的というのではない。ここの奥には瞑想の場などもあるが、それらがトンネルのように円形に連なる中心部に、何段かの階段が三方向からある二畳ほどの平らな場所がぽっかりとある。そこだけは屋根がなく空に続いている。ここはその昔、王が神に祈りを捧げた場所なのだ。そして今は塞がれているが、このタマンサリから地下道でインド洋の、あの女神がいるというパランクスモ海岸へと繋がっていた。

 また、ソロというところにあるラウ山のスク寺院もそうだ。このスク寺院はピラミット型を切ったような正殿があり、以前はその上にシヴァ神がいたといわれているのでヒンズー寺院と思われる。以前ここでキャンドルをいくつも並べた幻想的なスピリチュアル舞踊の公演を観たが、このとき公演がはじまると風がいきなり吹いてきた。正殿の上で踊っているダンサーたちも風にあおられそうになっていた。後で聞けば、ここも祖霊崇拝の山や寺院がきちんと直線状に結ばれる仕組みに建っていて、神が風にのってくるという話だ。
 これらはジャワ人の思想に基づいている。ジャワに強い影響をもたらしたのはイスラムスーフィーといわれているが、その神人合一の神秘主義思想がジャワ思想の基になっている。だからどの宗教にもぴったりとはまらない祖霊崇拝などもジョグジャカルタには多くあり、いくつかの遺跡などには特別な力が宿っていると信じられている。そしてそれらの場所は王宮と非常に密接な関係になっているのが常だ。それらは昔、直線状や実際の地下道などで繋がっていて、もちろん今でも強いエネルギーがあるといわれている。
 そのような場所に行くと、いつの間にか自分が別世界に飛び込んでいくような感覚になる。何かの拍子にはっと元の現実世界に戻ると、もう何時間も過ぎている。時間感覚が消えるそれは。そのまま時空を越えた旅だといえる。神に出会う旅。そんなときに何を考えているかといえば、日常のことはもとより、過去のことも未来のことも一切考えていない。ただ「気持ちいい」といった感覚だけがある。
 以前外国の映画で、ふっと力を抜いて「気持ちいいなぁ」と思うと、その瞬間にガラッと目の前の景色が変わり、知らないところに自分がいる、という時空を越える旅をしてしまう少女の話があった。それは非常に正しいと私は思っている。また、「時を越える少女」…タイムトラベラーというあの小説の主人公は、ラベンダーの花の香りを嗅ぐと時空を越えた。ラベンダーはリラックスに一番のハーブだ。つまり、ふっと力が抜ける究極リラックスが時空を越える神秘の旅へのパスポートなわけだ。そしてしばらくして現実に戻ると、目には見えない何かが心の奥にしっかりと刻み込まれている。

 旅先で神秘的なところに行ったときは、そのときには気づかなくとも必ず何かが心の奥底に刻み込まれ、それらはいずれ顔を出すときがある。偶然や奇跡といった形でもって普段の日常に変化をもたらすことが多い。そして「あのときあそこに行ったからかもしれない…」などと、線で繋がっていることにはじめて気付くのだ。これはひょっとするとその場所で
心の奥底が神とつながるからかもしれない。だけどあなたは楽しみながらただ願っていればいいのだ。あとは面白いように自然に流れていく。

 もし人間がひとりきりで生きていたら、旅に行ってもお土産は買わないかもしれない。未来がなければ写真も撮らないかもしれない。何処に行ってどうだったなどとメモすることもないだろう。何故ならあとになってそれらを思い出したり、ましてや共感したり知らせる相手も存在しないからだ。私たちは、周りの人間の存在と、自分の未来の存在を信じているからこそ、そこを記憶し、お土産を買い、写真も撮る。つまり、旅も帰るところがあるから価値が生まれるのだ。しかしこれに気付いていない人は多い。
 あなたも旅先で、きっと一生出会うはずのない人や偶然の出来事との出会いがあるだろう。それらを通じて神秘的なことにも触れるだろう。そしてそれらは未来に進んで行こうとするあなたのこれからの日常を多少なりとも変えるはずだ。しかし帰ってくるあなたを待っている人もいるのだよ。そんなあなたは本当に幸せかもしれない。