3. イメージインプット
なりたい自分になる イメージ力の使い方
バリのあるヴィラのフロント横に本棚があり、各国のお客さんが置いていった本が並べられていたのを見た。それらを宿泊客に自由に貸し出しているのだが、もちろん日本語の本もたくさんあった。そのタイトルを見ていると、旅行者が何を求めて此処に来たのかが少しわかるような気がした。
バリにもジョグジャカルタにも旅行者の置いていった古本を売っている店がいくつかある。時間があるといつも覗くのだが、必ずあるのが山田詠美、村上龍、吉本ばなな。そして次に多いのがアジアのリサーチ本。軽いエッセイものも多い。そして絶対にないのが芥川龍之介や夏目漱石や太宰治などの近代小説ものだ。本棚を見るとその人がわかるとよくいうが、インドネシアの本棚を見るとここに来る人たちのある共通性が見えるような気がする。
この間、ボロブドール遺跡近くのあの最高級ホテル「アマンジヲ」の同じような本棚にめずらしい本を見つけた。ここの本棚は他の場所と少し違う本が並んでいる。難しい小説や場所柄仏教関係の本も多い。しかしその日見つけたそれはなんと自己啓発の本だった。よくある「仕事で成功するには」…という類の本だ。その人はアマンジヲのヴィラでその本をじっくりと読んだのだろう。いま仮にその人をBさんとしよう。日本から来たBさんはその本をアマンジヲで読むことに意味があり、そこで成功した自分の未来像を重ね、ゴングの吊られているバスタブに浸かったりしたのだろう。優雅な滞在を過ごし、成功した自分のプレビューをしたBさんの帰国後の発展ぶりを期待したい。
私のセラピーでも、理想の自分像というのをイメージさせることがよくある。これは細かくイメージすることで、理想だと思っていたことがそうではないと気付くこともあり、本当の理想を早く手に入れるために効果的である。イメージするときには、具体的にすればするほど、早くそれを実現化することができる。これは本当だ。だからBさんのように(もしかしたらこの人はそんなことをしていなかったかもしれないが)成功した優雅な自分をイメージする際、五感でもって細かな部分まで具体的なイメージインプットができるように、あのアマンジヲのような空間に滞在したのは正解なのだ。
旅行はそういうイメージを植え付けるチャンスだ。普段はそんなに足を運べないようなスパで優雅にマッサージを受けたりするのも、イメージインプットにもってこいなのだ。また素晴らしいホテルやレストランでの豪華な食事なども最高に良い効果がある。必ずデザートまで食べるといい。その方が運も上がる(…というの知っていました?)。とにかく、好きなだけ理想的な満足いく日々を過ごすことで、あなたの内面レベルを引き上げることができるのだ。そしてもちろんそういう日々を過ごしていると、くだらないことでイライラしたりもしなくなるはずだ。そんな日を何日か送っているだけで、なんだか悩んでいたのが馬鹿らしくなってきたわ、という域にまでくるケースが多い。これは正にあなたの内面のレベルが上がったために、その悩み事との波長が合わなくなったからなのである。つまり悩みがついて来れずに外れていくわけですね。だから現実が厳しすぎてへこみそうになるときも、イメージでいくらでも意識を変えることができる。そして意識ひとつで人間は変わる。
さて、アマンジヲといえば石の床上に石の柱4本立って囲んでいるあの大きなベッドが珍しいが、あれはある遺跡をイメージして作られている。観光客もあまり行かないところだが、瞑想などに使われたという。それを聞いてなくとも、中に入ると「なるほどな」と感じる一種異様な空気感がある。以前ここで撮った写真に綺麗な緑色の光がすう〜っと入っていたこともあった。もちろん変な感じではない。落ち着ける神秘的な神様がいそうな感じなのだ。だからアマンジヲもそこをイメージして、あのベッドを作ったのだろう。心地良い眠りが保障される。
その近くのボロブドール寺院は、知っての通り仏教大遺跡。そのボロブドール寺院では、5月の満月にワイサックという行事がある。釈迦の生涯を記念するお祭りで、世界の仏教徒たちが経文を読みながらボロブドール寺院の回廊を歩く。この時に僧侶たちが黄色やオレンジ色の仏教徒衣装を身にまとっているのを見て、日本の仏教とは違うのを知るはずだ。インドネシアの仏教はインドから南経由で入ってきたものであり、北を経由して中国から入った日本の仏教とは違う。ボロブドール寺院横にある建物に置かれている仏像(これはめったに見られないものでもある)を見るのも貴重なものだし、体を投げ出して祈る仏教徒たちの姿も見られる。この人たちは中華・韓国系の人たちで黒い衣装を身にまとっている。私も仏教の幼・小学校に通っていたのだが、釈迦の生誕祭などは大きな行事だった。お経を読みながらお釈迦様の像に花と水をかける。お釈迦様はこんなことをお話なさっていますよ、と僧侶が説法をする。僧侶になればお釈迦さまと話ができるのかとそのとき私は思って聞いていた。しかしはっきりとした仏教徒でもない。インドネシアで警察や入国管理所などで何かの届を出すときに、必ずといっていいほど宗教は?と聞かれる。そのたびに仏教と答えるが、十字架のアクセサリーをしていたりして変な顔をされる。でも「無宗教です」という方がもっと変な顔をされる。神がいると誰もが信じている国の人たちには、必ず神がいて当たり前なのだ。神も仏もいると理解することで、インドネシアの文化やインドネシア人の考え方もはじめて理解できると思う。そしてその神などの見えない世界と現実世界の橋渡しの役目をするのがイメージ力でもある。 |
ボロブドゥール寺院内部
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アマンジヲのベッドのモデルになった遺跡
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