エイム インドネシア>道端の神々 〜幸運入門〜

4. 海に恋する大人たち


 海は特別なものだ。今これを読んで下さってる中で80年代に片岡義男氏の一連の小説を読みまくった方も多いだろう。その世代は今や30代半ばだと思う。あの当時のものでは珍しくお洒落な小説として一躍踊り出た。踊り出た勢いで片岡氏も書きまくった。

 そこに出てくる男たちは毎日オートバイで海や港に行く。何の仕事をしているかはあくまでも不明だが、何故か昼間からオートバイを走らせている奴らだ。そしてその辺りには、都会の夜から逃げてきた気だるいマスターのいる小さな店が必ずある。そこに潮風にあたりながらいつものように来る男。そしていつものように遅めの朝食、トーストとマーマレードを注文する。ゆるやかな夕刻の日差しが店に入りかけた頃、これまた何をしているか分らないロングヘアーの女、シンシアが来る。外人ではない。女は何故か決まってカタカナのニックネームがついていた。どうやらこの女はその男に惚れているらしい。
「どう?うまくいった?」
「まあ、そんなもんだよ」
 などと、全く意味不明な会話がいきなり成立してしまうのも、あの世界ならではだった。あれらの人種はいかに主語述語を言わずにお洒落っぽく会話を成立させるか、ということに重きを置いているのだ。
「またひとりで行くのね?」
 女はポツリと言う。
 男は海の方を見たままポップコーンをつまんでいる。
「オートバイばかり…」
 コーヒーミルの音でかき消される男を責める女の台詞。
「オートバイのせいにするなよ」
 と言い残し、キーを持ち立ち上がる男。女は慌てて、
「今夜はシェリーの家でまたパーティよ。みんなもあなたに会いたがっているわ。ジョイはあなたに借りたレコードを持ってくるって。だから忘れないで」
 男は後ろ姿のまま頷いて海の方へ行く。

 これらを映画を見ているようにイメージしながらうっとりとし、本を閉じると目に入ってくるのは海とかけ離れた自分の6畳間、というのが当時の若者のスタイルだった。
 なんてお洒落なんだろう…海! 時間に束縛されてない人たち、きれいな女に寡黙な男。マーマレード。昼間からビールを飲む日常。明日のことを考えない生活。と、皆の憧れは続いたものだった。
 …でもそんなもの、この時代もう誰も憧れていないって。

 今読むと、漁師でもないのに毎日海に行くこのオートバイ好きフリーター同士の恋愛は、お金がなく毎日トーストとポップコーンしか食べられず可哀想に、いったい将来はどうする気だろう……と心配されなくもない。当時の日本の若者はあの世界の一体何に惹かれていたのかというと、それは舞台が「海」。海に日常があるということだったのだ。
 確かにそうね、だってこれが山だったらあれほどステータスにはならなかったはずだ。山にオートバイではただのツーリングだし、山の喫茶店はサラリーマン生活に見切りをつけた自然を愛する人のいいオジサンはいても、都会の夜から逃げてきた気だるいマスターはいない。何故なら山の冬は厳しすぎるからだ。身がもたないのよね、それに根性も。

 当時あの世界が大人の海の光景と思っていた10代後半の若者は30代を越え、ああいうのはただ背伸びをした海の光景だということに気付き、海水浴やスポーツに勤しむような海も卒業し、そろそろ本当の落ち着いた大人として海を経験しようか、となるのだ。

 そこで次に知る海の光景は、バリなどのリゾートの海。しかも高級リゾートの趣でただのんびりとプライベートな海辺で横たわり本などを読む。「あ〜私もやっと大人として海の過ごし方を満喫できるようになったわ」と、満足してみるのも束の間、もっとすごい過ごし方があるのだ。正真正銘の大人だけしか味わえない重厚なひと時が。

 それは灰色の薄暗い夕暮れどきのさびれた海。そんな海のどこがお洒落かって? 侮ってはいけない。映画そのままの光景に出会えるのだよ。
 南海に宮殿をもち、海を守る存在となった女神(場所によっては女王と呼ぶ)デウィがいるといわれているインド洋沿いの海岸。バリでもジョグジャカルタでもその神話は聞くことができる。特にジョグジャのパランクスモ海岸では、マタラム王朝のスノパティ王が瞑想をして、その女神に出逢ったといわれる岩があり、祈りを捧げたり瞑想するために今でも使われている。毎年王家が執り行うラブハンという儀式があるが、王の髪や爪や伝統衣装までを海の宮殿にいるその女神に献上する。それらの入った大きな箱を海に流し、その箱が波にゆらゆら揺られ少しするとまた自分たちのところへ引き戻ってくる。そして蓋を開けると中は空っぽになっているのだ。王家をはじめ儀式に関わる面々は平然とそれらを見定め、儀式滞りなく終了と身支度を整える。王宮の方々の上品な身のこなしにウットリする。
 海岸沿いにある小さな店で熱いコーヒーを飲み、こういうことを含めた文化や芸術を継承し、精神性を高めていきましょう。といった話を静かに話し合う。どうだ、こういうの。大人でなくては参加できないシロモノだよ。夕暮れの海の中を馬が走る。まるでタイムスリップした映画のひとコマを見ているような完璧な夢景色だ。その空気に混じって花と神話の香りがあたり一面にたちこめる。ややもすると辛気臭い暗い海の光景がすごくスマートにお洒落に感じる瞬間だ。これこそが大人の海。海は遊ぶところでもリゾートするところでもない。何かを捨てて何かを思い出すところなのだ。日常に引き下げてはいけない海の過ごし方というのがあるということに気付くのは30代も半ばだね。神と過ごすこの海にはやはり大人がよく似合う。


夕暮れのパランクスモ海岸

パランクスモの海岸を駈ける馬