エイム インドネシア>道端の神々 〜幸運入門〜

6. 幸運体質


 この新タイトル「道端の神々」の幸運入門シリーズになって今回で第6回目。最近よく思うのだが、幸運ってやはり体質があるような気がする。

 運のいい人たちは、自然と運の更によくなるようなものに近づいていく。そういうものに近づいたから運がいいのか、運がいいから近づくのかどちらが先かはよくわからないが、彼らは本能的に動いているような感じさえする。法則を知っているのだろう。
 そして同じように運の弱い人たちは、これまた無意識に運を落とすようなものに近づいていくようだ。どうしてそんなものを持つの? どうしてそんなところに行くの? と、はたから見たら自ら運を下げるような行動をしていることがしばしばある。

 例えば、これは持つときっと運気を上げるとシャネルのチャンスという香水について前号のここで書いたが、のちに知った事だが私の周りの運の強い友人たちは、なんと発売と同時に皆こぞって購入していた。やはりさすがそういったことに鋭い友人たちだ。

 しかしうまくいくことを運が強いと思われるのと、努力の結果と思われるのとどちらがいいものだろうか。一般的には若い頃の努力や苦労は大事という考え方もあるが、果たしてそうだろうか。苦労はしないにこしたことはない。苦労して成功した人にアドバイスを聞かないほうがむしろよいこともある。何故ならばたいていは「努力しなければいけないよ」というアドバイスになるからだ。時々意地悪な人もいる。自分は苦労して掴んだ成功だから、他人が何の苦労もなしにうまくいくことが許せないようだ。

 私は昔から、好きでやってきていることばかりで何の苦労もしていない方だ。人生は最終的にはツイている人間が何事もうまくいくと思っている。これを読んでいる皆さんは運は持って生まれたものだと思っているかもしれないがそれは違う。環境やその人自身の考え方が常に運を作り出すといっても過言ではない。
 Bラッセルの幸福論ではないが、幸福には上限がない。つまり今まで味わった事のない幸福にこの先出会うかもしれない・・・と思ってワクワクしているか、または、そんなことは考えた事もないよと言うか、あなたはどちらだろうか? 何故なら自分の幸せを信じられるかどうかが、実は非常に大きなステップだ。

 以前ジョグジャカルタのとあるサイキックな方に、部屋の中をこうしなさい、とアドバイスされた人がいた。その人は日本に帰り言われた通りに部屋の中の模様替えをした。それは壁から何から色まで変えた模様替えだった。その後どうなったかというと、その人は人生が上向きになり、成功へと進んだ。しばらくして機会があってある風水師にその部屋を見せたところ「これはもう完璧」と言われたそうだ。何が言いたいのかというと、運をつけるというのは世界共通に「わかる」ものだということ。そう考えると世界何処でも大体共通した判断で、運の良い人間と悪い人間に分けられるのではないかと思う。

Lithograph by Tomk

 さてここに「傘」がある。私は昔から傘をたたむときに異常に気を使う。少しでも折る線がずれると落ち着かないのだ。しかしあるとき人に言われて知ったことに、傘をきちんとたたんでいる人は強運を掴むそうだ。あぁよかった、きちんとたたんでて。確かに路上ダンボール生活の皆様もよくたたんだ傘持参でいるけれど、たいていは滅茶苦茶なたたみ方ですもんね。
 でもどうして傘をきちんとたたむと運を掴むの? と質問したいあなた! そうそこのあなた。「運を掴むのに意味はいらない」ということにまず気づかなくてはいけない。意味を知りたい人はどうして意味が必要かを考えてみるといい。それだけ自分の幸せを信じられないからだ。

 運が弱いと自分で思っている人もいくらでも強くすることはできる。まずは自分の幸せを信じる事。今は幸せだと思えなくてもいい。自分は幸せになるだろう、と少し先の未来の幸せを信じる事からはじめるといい。そんなとき「〜〜だからきっと幸せだろう」と思うあなた、これまた気をつけて欲しい。幸せになるのに理由はいらない。逆に言えば理由をつけなければ幸せになれないと考えるならば、努力しなければ成功しない、という往年の空々しい理論にのっとってしまうのだよ。そしてそういう考え方をするあなたは本当に努力しなければ成功しないだろう。そして努力をしない自分を自分はわかるので、その努力しない自分を責めたりしてより苦しんだりするのだ。そんな辛い堂堂巡りをしたいだろうか? したくなければこのコーナーを毎月読んで、傘をせっせとたたんだり、シャネルの香水をつけたり、靴を磨いたりすれば幸運へもっと近道だと思うが・・・・・つまり幸運体質とはある意味「単純・明快」ということですね、ハイ。でも確かにいまどきもう流行らないものね理屈っぽいのなんて。「いいものはいい」――これだけで進んでいかなくては運においていかれます。