エイム インドネシア>道端の神々 〜幸運入門〜

19. レバラン


 インドネシア人口の九割を占めるイスラム教徒は十月十五日からラマダン(一ヶ月間の断食月)にはいっています。

 これは普通のカレンダーで計算するのではないので毎年時期がずれていきますが、四季のないインドネシアにいた私はこれで「またラマダンがきたのだなぁ、もうそういう季節なのかぁ」と時の流れを感じていました。

 この期間は、日の出ている間の飲食はいけません。水さえ駄目です。ですから朝日が昇る前の暗いうち、早朝3時過ぎにモスクから聞こえてくるサフールと共にまず最初の飲食をします。そして次は夕刻、日が沈んだ六時頃にモスクからブ〜とサインの音が鳴ったら飲食します。テレビもお祈りの時間になると、やっている番組をとめてモスクの映像でもって「さぁ祈りましょう映像」を流します。そして夜中は(バリではどうかわかりませんが)、アラブのメッカ巡礼の様子が解説もなくただずっと映し出されています。豆粒のような群集がメッカの大モスクで祈りを続ける姿や、中庭で黒い布のかかったあの大きく四角い箱のまわりをぐるぐると渦潮のように回りうごめくイスラム教徒たちの姿が、どこの家でもブラウン管を通して幻想のように真夜中に浮かび上がっています。

 ジョグジャカルタなどはマクドナルドやレストランなど、カーテンをつけたりしてこの期間の昼は中が見えなくなっています。それはひとつに「頑張って断食しているのに、人が食べてるのを見せてはかわいそう」という御心と、もうひとつは「イスラム教だけど自分は敬虔な教徒ではないので食べることもするけど、ただ知り合いたちにあまり見られても気まずいなぁ」という人のために「隠してあげる」という心。家では、メイドさん(イスラム教徒が多い)が断食期間の料理は味見ができないため美味しくないというのも定説です。

 その断食があける「レバラン」というものがイスラムの最も大きなお祭りにあたります。
 離れている家族が顔を合わせるような日本のお正月と同じです。レバランに合わせてのイベントも行われます。以前私はシンガポールでこの時期のイベント公演に参加したことがあります。スタジオに入りきれない八十人以上いるダンサーとオーケストラ団員の合同練習は昼間ずっと炎天下で行われます。マレー系シンガポール人の彼らはイスラム教徒ですから、練習期間は皆もちろん断食をしています。ですから連日ダンサーの何人かが倒れます。本当なんです。

 さてジョグジャカルタでは、その一ヶ月を過ぎる断食明けの朝、王宮前広場で王様を先頭に一斉にお祈りが始まります。コーランの響き、何千何万という人の呟く、まるで地響きのような声、そしてあのひれ伏す動作、見てて背筋がゾクッとします。

 その昔、断食明け光景を見たくて、はじめて王宮広場前に行ったときのこと。ものすごい人数でどこも足の踏み場さえなく、横のすいている脇道をどんどん歩いていたら、本来入ってはいけないところに入っていたようで、気づいたら広場に出たときは王様よりもはるか前の先頭の道に飛び出していました。すぐにお祈りがはじまって、気づいたら一斉に私の方にひれ伏してお祈りしています。私のいる方向がメッカの方向だったわけです。よく見たら先頭に王様いるし、という間抜けな状況で、あちらから見たら何であそこに人がいるんだ? と思いつつもお祈りを続行する、という感じでしょうか。一年に一度の大事なイベントに今思い出しても大変申し訳なく感じますが、そのとき群集が自分の方に向かってひれ伏すその姿を見ながら、神が見る姿はこれなのかな、などと思っていました。

 その光景を見て「お〜よしよし郡集よ」と軽く片手をあげるような気分になるかと思えば、面白いことにこれが全く何も感じないんですね。「ふ〜ん」という感じなんですね。仏教も中国や韓国ですと同じようにひれ伏しますね。動作も何度も体を投げ出すあれです。

 皆さんも何か願っているときには、どこかで神に願っていると思います。必死に願えばひれ伏したい気分にもなるかもしれません。もう体ごと投げ出して「どうかひとつ」という気分になるかもしれません。でもその姿を見て「よしじゃあ叶えてあげよう」という神だとしたらどう思います? なんかやけに時代劇っぽくないですか? しかも悪代官とかそういうレベルの。だから私、ひれ伏さないんですよ。神の方から
 「ねぇその夢一緒に叶えさせて」
 と言われるように、いつも光っていようと思っていますの。それで結構今までうまくやってこれてます。