| 川や滝などの近くに行くと、すがすがしくって気持ちがいいですよね。これは、水辺にはマイナスイオンが発生しているから…ってことは、もうみなさんご存知ですよね?! そのマイナスイオンたっぷりのウブドの河原で、晴子さんとジョイちゃん母娘がなにやら楽しげに遊んでます。晴子さんの水物語は、このウブドの河原から始まりました。 |
バリニーズは本当に良く沐浴(マンディ)をする。朝の目覚めに、田畑仕事の休憩に、夕方の水浴びは特に一日の締めくくりとして欠かさない。水がわき出る所などは子供達の格好の遊び場所でもある。街中の家庭ではシャワールームを備えた家もあるが、農村で浴室のある家はごく希で、村人にとって川や湧き水は無料の公衆浴場。三々五々、川に集まってきてはお喋りをしながら体を洗い、ついでに洗濯もすませてしまう。屈託のないただの水浴びに見えるが、その根底には、山々から流れる水は聖なるものとする考え方があり、沐浴は日々の穢れを清めるための大切な儀礼ともいえる。沐浴の後、満ち足りた思いでのんびりとくつろいでいるところは、バリらしい豊かさを感じる一時でもある。

バリ風景画の中にも小川や渓谷で戯れる鳥の絵や、沐浴する美しい女性、楽しげに遊ぶ子供達というのが良く出てくる。川の水の恵みで育った青々とした植物や花は、バリ芸術のあらゆるデザインの見本とも言える。
私達にしてみたらまるで楽園のような風景画が、此処には川を流れる水の様に、毎日変わることなく日常的に存在して繰り返されている訳である。そして、人々も今だ変わる事無く関わり続けている。
本当のバリと自然を満喫したいなら、是非遠出して貰いたい! それが無理なら、中心街からそう遠くない処でバリらしい風景に出会えるのは、ウブドかも知れない。すっかり観光地化してはいるものの、一寸車で走れば一面の段々畑でいつものように働く村人に出会う。嫌でも目に付くホテルやヴィラの建築の仕方も、周りの自然に溶け込むように、かなり気を使っているように思う。敷地内を散歩しても自然の風景を損ねない様にそして楽しめる様に、上手いこと利用して共存している。
余談になるが、ウブドの川の近くに建つヴィラに滞在したときも、向こう岸には村が有るため、時間になると村人が素っ裸で沐浴を始めると言う事があった。水を汲んだり、洗濯したり、朝夕ひっきりなしに誰かしら川を訪れる。向こうさんにしても、こちらにしても、その川が誰の物とか考えていないから、気にもしていなかったし、私としては「なかなか見られない事を見学させてくれて有り難う!」という感じだった。しかし苦情を出す客もいるという話をヴィラのスタッフに聞いた時は、何だか情けなかった。高い泊まり代を払っているのにプライバシーが無いと言うらしい…。川の風景もその「お代」に含まれているんだそうな…。そんな人たちがツアーで行った何処かの川や渓谷を見て、その美しさを讃えたとしても、何の説得力もない。
話が少しずれてしまったかもしれないが、何が言いたいかって言うと…ウウーッ! 上手い表現が見つからないので、私の尊敬するアメリカンインディアンのシアトル首長が、1854年にアメリカ第14代フランクリン大統領に宛てた手紙から引用させて貰います。これは、私が前回6才の娘ジョイを連れて、ウブドの川で遊んだ時の事を思い出したり、村人が沐浴している姿を思い出すと、この手紙の一説がどーしても頭から離れないから、これが一番言いたい事に近い事なんだと思う。

川を流れるまぶしい水は、
ただの水ではない。
それは、祖父の、そのまた祖父達の血。
小川のせせらぎは、
祖母の、そのまた祖母達の声。
湖の水面にゆれる、ほのかな影は
私達の、遠い思い出を語る。
川は、私達の兄弟。
渇きをいやし、カヌーを運び、
子供達に惜しげもなく食べ物をあたえる。
だから、白い人よ、
どうか、貴方の兄弟にするように
川に、優しくして欲しい。
私の知る限り、白い人たちはインディアンの望み通り優しくしなかった様だ。でも、まだまだバリには美しい川や渓谷が沢山そのままの状態で存在している。人々もまた、その恩恵を受け、良い関係を続けている。そして、そこを訪れる私達も、都会でボロボロになった心を癒しに、大枚はたいてやって来るのだが、何を感じて帰るのか? は、どんなに渓谷や川がマイナスイオンを出してくれたとしても、その人の心の在り方に左右されていくのだと思う。
*撮影協力:ホテル・チャンプハン(ウブド)
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