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社会の中で健康的なものといえば、自然の中にしか見付けることが出来ない。社会は常に病んでいて、調子のいいときでさえ気分を悪くさせる。社会の中には木々が放つ芳香などなく、広々とした草原で常に感じられる開放感もない。強い刺激のあるドクダミの花も最近の東京辺りじゃ余りお目に掛からないし、気分を爽快にしてくれる匂いは全くと言っても良いほど何も 感じられない。
こんな快適さの要素に欠けた状態では、自然の中に身を置いても顔は青白く冴えない。肉体や精神に健康を取り込みたいと願うのであれば、森林や山と、海や空と対話しなければならない。もし、心が健康ならば、自然は健康の源になる。心が病んでいれば、自然も病んで見える。だけど、何らかの自然美を嗅ぎ取る事が出来る者に対して、自然は何の危害も加えないばかりか、失望もない。完璧な存在なのである。
ただ、毎日の中で自然と対話する機会はなかなかないものである。だから私は何らかの自然史の本を万能薬として常に自分の手元においている。このての本を読んでいると、体の調子が良くなる(正にドーパミン!)。そして、人生に前向きに取り組めそうな気分になる。
もう一つは、写真である。自然との対話に出向いた先々で撮った写真を、家のあちこちに飾っている。殆どの写真は2/3以上が空で占められていて、
「窓から見える景色が何時もこんなだったらいいな〜」
と呟く私は、本当の窓に背をむけている。目の前に飾られているのは、バリ島の気が遠くなるような青い空、むせかえるような樹木の緑、わき上がる雲を捉えた写真。特効薬中の特効薬だ!
自分で撮って言うのもなんだが、それはそれは美しく、言葉で言い表せないほどの幸福感さえ感じる。
「別にハワイでもタイでも同じじゃない?」
と言われてしまえばそれまでだが、何かが違う。バリ通いをしているせいで、その違いが分かるのかも知れないが…。
例えば人が空を眺め上げるとき、別に蔑みの感情は持っていない。ただ、地球より軽じているだけだ。尊敬の念を込めて私達は「天上」と呼ぶが、バリニーズ達は、「大地」には天上の神が住んでいることを認識していて、地球にも同じく畏敬の念を示す。私達日本人も昔はこの地球上でそんな風に生かされてきたのだが、近代化の名の下に日本は全てを捨て去ってきた。
しかし、人間同士、安穏な気持ちに充たされた社会だったのだろうか?と、自分に反問しながら渋谷あたりで空を見上げると、そんな場所では天上さえ哀愁がある。バリ島が余り変わらないことの美しさ、自信を持って生きている人々の柔らかな眼差し。穏やかで心豊かな人生が、その一枚の風景写真でもちゃんと映し出されているんだと思う。
あれこれ偉そうに語ってみたところで、私はナチュラリストでもなんでもないし、深く自然について考えるのが良いとも言えない。余り考えすぎると、都会に住む者の怒りと絶望感で、自爆する恐れもある。どちらかというと、私はそのタイプで、そろそろ万能薬も特効薬も効かなくなってくると、バリ島へと逃亡する。
本を片手に動植物を調べるでもなく、カメラ片手に被写体を探すでもなく、好奇心も物欲もわすれ、細かい事に拘らず、頭を空虚にしてみることが必要なのだ。まる一日、なにもせず、ただぼーっと空を眺め、真っ白い綿雲を目で追いながらそのまま居眠りへと誘われるのも悪くない。
例えば夜中に停電したところで、満月の夜なら自分の影だって追いかけてくる。だから気にしない。また空を仰いで、今度は雲の後ろに隠れた月を目で追ってみる。もちろんぼーっとしながら…うわの空…。
ただ、空気のインスピレーションを感じるにとどめ、無為に一日を過ごす。そんな、至極の喜びがあるから、バリ通いは止められないのである。
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